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気まぐれ系読書ブログ

読書記録『僕の妻は発達障害』


※2022/04/19現在既刊①〜③

完結していない漫画を紹介することにはさんざん悩んだのだが、この作品は絶対外せないと思い再読。改めて4巻はまだかとググったらまさかのドラマ化決定で驚いた(なお4巻は2022/06/09発売予定とのこと)。主演はももいろクローバーZ百田夏菜子氏。

漫画家のアシスタント北山悟は妻の知花、そして猫2匹とともに都内に暮らしている。社会人サークルで知花と出会った悟は、彼女の独特な感性に惹かれやがて交際→結婚に至る。しかしふたりの私生活は些細なことですれ違う。知花は忘れ物が多く、よく喋り、話がころころ変わる。結婚当初はよく喧嘩ばかりしていた。
悟は「妻はちょっと変わっているだけ」だと思っていた。しかしある日知花が「発達障害」の診断を受ける。それまで彼女の個性だと思っていたものに名前がついた。それでも一緒に生きていく日々はトラブルばかり。つまずくことは多いが、知花の苦労・努力を理解しようとするたび、悟自身も彼女に影響され成長していく。2020年より『月刊コミックバンチ』にて連載中。※なお私は連載を追いかけていないのでこのエントリは第3巻終了時点のものである。

 

少し脱線しよう。私の幼少期の話である。あまりに球技が苦手だった私を見かねた父親が訓練用にボールを買ってきた。しかし私は練習してもうまくいかず、早々にやめてしまった。スポーツテストでは小学生の平均を大きく下回り、自分が普通ではない(普通とは何か? というのも本作の大きなテーマである)のだとはっきり理解した最初の経験だったように思う。子供の頃は身体が弱かったこともあり、他の種目でも地を這うような低得点の連続。父親に非力な昆虫呼ばわりされた屈辱は今も忘れていない。
ようやく好転したのは高校生のころである。もともとアスリート向きの体格だった私は病気が治るなり各数値が鰻登り。もちろんボール投げは病気とは関係ないため苦手だったが、歳を重ねたことが幸いしたのか平均より少し低いレベルには到達していた。そのまま人生薔薇色……とはさすがにならなかったものの、運動面だけでもまともになったのはよかったように思う。なお私は「発達障害」(ここではADHD)の診断を受けたわけではない。極めてその傾向は強いが(もちろん運動だけの話ではない)、生活に困難を抱えるレベルとは判断されないだろうとカウンセラーの知人に言われているためだ。

 

閑話休題。本題に戻ると、まず『僕の妻は発達障害』の作中では具体的に知花がどの「発達障害」のカテゴリなのかは語られていない。なんとなく推測のつくところはあるが、作中で触れられていないことを憶測で書くのは憚られるためここでも「発達障害」と括って書いていく。*1
近年の日本において「発達障害」は認知され始めているが、それでも偏見は根強い。「なんでもかんでも障害ってつければいいだけだと思っている」という無骨な根性論もあれば、「発達障害の人って単純作業が得意なんだよね」という単純化した特性語りもある。本作は天真爛漫な知花と穏やかな悟の生活を読んでいるだけでも楽しいのだが、ふたりのすれ違いのシーンから多くの学びも得ることができる。「発達障害」の特性もそうだが、当事者がどんな気持ちでいるのか、傍にいる人はどう思うのか、ふたりはどのように乗り越えていくのか、これらを気にして読んでいる人も多いはずである。もちろんこれは「発達障害」当事者に限らない。悟は家事に疲弊する知花の行動を観察していくうちに、家庭内の家事分担が知花に偏っていることに気付く。これはどのような夫婦にも当てはまることではないだろうか。
また胸にぐいぐい突き刺さってくる台詞も見逃せない。知花の家事負担に気づいた悟は分担を申し出て断られてしまう。その理由を知花は、

「仕事できなくて家事もできなかったら私なんの価値もない」
(第1巻より。話数は伏せる)

と語る。自分の存在に悩む人の心をここまで的確に表した台詞があるだろうか。職場でミスばかりして自己肯定感の下がってしまった人、却って男性の多くに突き刺さる台詞だと思われる。
また「発達障害」の診断を受けた直後の台詞も印象的である。

「なんだか、ほっとしたの。ずっとなんか変だな、何が違ったのかな、私は人より怠け者なのかな? って思ってた。自分ってなんなんだろうって思ってた」※句読点は私がつけたもの
(第2巻より。話数は伏せる)

カウンセラー数人と「発達障害」について話したことがあるが、診断を受けた人にそう答える人も多いという。もちろん受け取り方はその人次第である。

そして私が特に気になったのが知花が「発達障害」の診断を受けたことをある人に告げるところ。

「知花は天才なのね? ピカソもジョブスも坂本龍馬もそうだったらしいじゃない。あなたにもきっと何かあるから、私たち応援してる!」※句読点は私がつけたもの
(第3巻より。話数は伏せる)

"disorder"を障害と訳して「発達障害」。これにはいろいろな議論がある。そもそも「発達障害」はすべてマイナスではない。喋りがうまかったり、突破力があるために政治家になったり起業して大成功している人もいる。非常に勉強ができたり、人柄の良さから職場の雰囲気をよくしている人もいる。しかしそれでも全員ではない。特に前者の成功者は一握りに過ぎず、「発達障害」であることを明かしているモデルの栗原類氏は「発達障害=天才」のような語られ方が当事者を苦しめる可能性を指摘している。

wpb.shueisha.co.jp(※2022/04/19取得)

難しい問題だが、実際そうだろう。このやりとりを知花はどう取ったかわからないが笑顔を見せている。この台詞からその人が「発達障害」について理解しようとしたことがわかるからというのもあるだろうか。

まだ完結していないため、内容の紹介に困る部分もあるが、自身が「発達障害」ではないかと悩んでいる人やその当事者でなくても間違いなく楽しめる話となっている。ドラマも気になるがまずは先に続編を読みたい……と、最後に自分の願望を書いておく。

 


なお「発達障害」を描いた作品は数多い。

沖田×華著『毎日やらかしてます。アスペルガーで、漫画家で (本当にあった笑える話)』

さまざまな漫画を書いている沖田×華(おきたばっか)氏だが、「発達障害」当事者として自身の経験を書いた漫画はとても話題になった。

『Hank Zipzer: The Life of Me (Enter at Your Own Risk)』

こちらはNHKで放送されたドラマ「ハンク ちょっと特別なボクの日常」の書籍(※英語のため注意)。ディスレクシアの日本での認知度は未だに低い。

*1:そもそも「発達障害」と一口で言っても個人の個性の範囲と判断すべき部分も多い。「発達障害」それぞれのタイプについてもかなりのグラデーションがあり、正確にカテゴライズすること自体に無理がある。もちろんASD(自閉症スペクトラム)とADHD(注意欠陥・多動性障害)の併存のように決して珍しくない組み合わせもある。なお同じ生きづらさを抱えている人に見つけやすくするため、あえて最も傾向の強いひとつの名前をタイトルに掲げている作品は多々存在する。要するにスタンスの違いであり、これらの作品を批判する意図はない。

読書記録『マイ・シスター、シリアルキラー』

 

ナイジェリアの大都市ラゴスに住む看護師コレデに一本の電話が入る。電話の主は妹アヨオラ。彼女は人を殺してしまっていた。
被害者はアヨオラの恋人・フェミ。喧嘩の末にアヨオラがナイフで刺殺してしまったのだという。現場に駆けつけたコレデは、妹のため血を拭き取り死体の遺棄を試みる。コレデはアヨオラが人を殺してしまったことに動揺こそしているものの、どちらかと言えばうんざりしていた。なぜならアヨオラが自分の恋人を殺してしまったのはこれが3度目だからだ。

同じ親から生まれながら妹のアヨオラは男たちを惹きつけてやまない美貌の持ち主である。一方のコレデは自身のルックスにコンプレックスを抱いており、恋心を抱いている医師のタデとも一切の進展がない日々だった。しかしフェミの殺害隠蔽に加担したことで彼女の生活は一変してしまう。フェミの親族はだんだんと恋人だったアヨオラに疑惑の目を向け始め、警察の捜査は姉のコレデにも及ぶ。そしてアヨオラがコレデの病院に顔を出すようになり、コレデが恐れていた事態が起こる。コレデは恋に前向きになれなくても、タデとほんのささいなことで手が触れたり、そばで声が聞けるということだけで幸せを感じていた。しかしタデはその他大勢の男たちと同様にアヨオラに一目惚れ。アヨオラも乗り気となってついにふたりは交際を始めてしまう。このままではタデも殺害されてしまうのでは? コレデは傷心を紛らわしながらふたりの行末を見守るのだった。

アヨオラは恋多き女で、他にも男の影が見え隠れする。タデもそのことに気づいているのだが、どうしてもアヨオラを諦める気持ちにはならないらしい。「アヨオラと付き合うのはやめた方がいい」とコレデは言うが、彼女の言うことにタデは取り合わない。そうなのだ。いつだって周囲は美女のアヨオラの味方ばかり。彼女の犯罪の片棒を担がされながら、どうして自分は黙って我慢しなければならないのか。彼のことが心配なのに本当のことが告げられない。そして言えたとしても信じてはもらえない。仲睦まじい恋人同士のふたりを見続けるあまり、コレデは心身に胚胎する鬱屈した感情に半狂乱となってしまう。
彼女のたったひとつの癒やしは昏睡状態の患者・大学教授のムフタールに話しかけること。彼のことは何も知らないのに、彼にだけは本心を打ち明けられるのだった。
やがてさらなる事件が起こり、コレデは次なる試練へと導かれる。一連の事件はどう収束を見せるというのだろうか……?

 

ナイジェリアは人口2億人ほどのアフリカの国である。きちんとした統計が手元にないので具体的な数字は書かないが、殺人事件の人口割の発生数は世界の国々で見ても平均より上の方である。アヨオラが過去2回逃げ切っているあたり、日本やアメリカが舞台の刑事ドラマ・小説のように最先端の科学的手法で捜査が進められている国ではなさそうだ。ナイジェリアという日本人にとってあまり馴染みのない国が舞台というのも注目点のひとつか。
犯人側(というか隠蔽幇助)の視点ということで倒叙ミステリのような楽しみ方をするサスペンスと思いきやそうでもない。確かにサスペンスの範疇には数えられるだろうが、超絶トリックを弄しているわけではないし、刑事とのやりとり・駆け引きもシーンとして多くはないからだ。
ナラティブは穏やかで雰囲気もユーモラスなのだが、理不尽な理由で自分を受け入れてもらえない人間の歯痒さを描く手腕が見事だった。またアヨオラとコレデの奇妙な関係は先行きが見通せず、読者の不安を煽ってくる(そこに無理やり心理学的な名前をつけて批判する人もいるようだが、作品を陳腐にしてしまうだけだろう)。時折挿入される彼女らの過去のエピソードはどこに行き着くのだろうか?


アフリカの文学と聞くとついつい経済格差や人種差別という重厚なテーマを求めてしまいがち。しかし描かれている内容は特殊な事情を抱えて悩むコレデの姿が中心であり、そこに上記のようなわかりやすくポリティカルな題材は介在していない。あえて言えばルッキズムに対する諦念はこれでもかというほど書かれているが、それに対して落としどころがあるわけでもない。
話の筋は間違いなくミステリーなのだが、多くが語られないままに終わるためジャンル横断的な扱いを受けているようだ。それでも最後に明かされる秘密にはゾッとするし、コレデの国境を越えて世界の人々に共感を呼びそうな葛藤の数々にも惹き込まれるものを感じる。推理小説なのだが推理小説っぽくない。そこに間口の広さがあることもまた事実である。ページ数も長編というには少ない部類であるし、推理小説が苦手という人にも気軽に楽しんでもらいたいと思う。

読書記録『一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい』

 


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「自分のことをしっかり理解して、自分の足元をしっかり見つめて、周りのチームメイトを信じ、このチームスワローズが一枚岩で行ったら、絶対崩れることはない。絶対大丈夫。これはしっかり自信をもって戦える。何かあったら僕が出ていく。何かあったら僕に相談しなさい。何かあったらコーチに相談しなさい。自分で抱え込まないで。これがチームスワローズ。これでずっと戦ってきた。去年の反省を活かし、今年どうやって戦っていくのか。去年の悔しい思いを今年どうやって晴らすかということをずっとやってきたのが今年のチームスワローズ。みんな自信をもって頑張りなさい。絶対大丈夫、絶対いけるから、絶対大丈夫。もし今日グラウンドに立つときにふと思い出したら「絶対大丈夫」と一言言ってから打席に、マウンドに立ってください。絶対大丈夫だから。どんなことがあっても僕らは崩れない」

 

「絶対大丈夫」を合言葉に2年連続最下位からのリーグ優勝、そして20年ぶりの日本一という最高の栄誉に輝いた2021年の東京ヤクルトスワローズ。言葉の力でチームを鼓舞し、おそらく史上最長スパンであろうシーズンを監督として戦い抜いた高津臣吾氏による著作第2弾。本書の前半は2021年のプレシーズンから日本一までの道のりを記録とともに振り返る言わば監督の回想録である。そして後半は前作『二軍監督の仕事』よりさらに具体的なチームマネジメントに踏み込んだ一軍監督就任後の仕事観について明かしている。

※『二軍監督の仕事 育てるためなら負けてもいい』の読書記録はこちら。

tsuge-m.hatenablog.com

 

『一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい』

目次

第1章 2021年かく戦えり
第2章 日本シリーズかく戦えり
第3章 運命の第6戦、涙の日本一へ
第4章 2021年を戦い終えて
第5章 スワローズのV戦士たち
第6章 育てながら勝とうじゃないか
第7章 スワローズ・ウェイと、野村監督の遺伝子
第8章 スワローズ・ウェイの完成に向けて
(光文社の本書ページより)

前述の通り、第1章「2021年かく戦えり」はCSファイナルステージまでの記録を早足で辿っている。新型コロナウイルス感染絡みの選手離脱、助っ人外国人合流の遅延、話題になった古田敦也臨時コーチと中村悠平の覚醒についてももちろん触れられている。このなかで飛翔の機運として交流戦でのホークス戦を挙げているのが印象的だった。
第2章「日本シリーズかく戦えり」、第3章「運命の第6戦、涙の日本一へ」ではパ・リーグ覇者オリックス・バファローズとの熱戦の舞台裏を描いている。こちらで記憶に残るのは降板した後の投手たちの素顔である。第1戦で最強エース山本由伸と投げあった奥川恭伸の後悔、第2戦で圧巻のピッチングを見せた高橋奎二の試合後の監督とのやりとり(この自信満々な発言をしていて今シーズンも現時点まで文句なしのピッチングを続けているのがすごい。いや本当にカッコいい)、クローザーとしての意地の続投を見せたマクガフ。監督自身が投手出身であり、チームの守護神だったこともあるため、石山泰稚やマクガフに対する共感の強さは特に感じるところである。

第4章「2021年を戦い終えて」はシーズン終了後の振り返り。シーズン終了後にへとへとになって寝込んでいたという話を聞くと、本当にハードな戦いだったのだなと痛感する。
続く第5章「スワローズのV戦士たち」は優勝に絡んだ選手たちの何人かについて監督自ら語っている。打撃だけでなく山田哲人の守備も評価してほしいという監督の親心、いじられキャラ清水の秘密(これを読んだファンたちは今後清水が登板するたび「おっ、清水さん」とツイートしそうである)、本当に興味を引く部分が多い。監督という立場ゆえ詳しく語りづらいのはわかるものの、もう少し紙幅を割いて語る人数を増やしてくれてもよかったかもしれない。

 

第6章「育てながら勝とうじゃないか」からはまさしく「一軍監督の仕事」に踏み込んでいく。前著で「育てるためなら負けてもいい」と書いていた監督の一軍監督就任後の考え方の違い、変わらない部分が語られる。
第7章「スワローズ・ウェイと、野村監督の遺伝子」は監督の恩師である野村克也氏の野球論について。監督自身の聞いたこと、経験したこともちろんだが、昨今のデータ野球と野村野球の心得の親和性の高さを述べている。メジャー経験のある高津監督はところどころアメリカ流の用語を用いるが、セイバーメトリクスに強い関心をもつのもその影響だろうか(おそらく本書に書いてある通り純粋に分析が好きなだけなのだろうが)。
第8章「スワローズ・ウェイの完成に向けて」はこれからのチーム運営の展望を語る。強豪チームの黄金期を見つめつつ、スワローズを常勝球団とするための考えが明かされる。

 

仲の良いファミリー球団というイメージの強いスワローズ。その居心地のよさゆえか助っ人外国人を何人も成功させていることは周知の通りである。一方で「馴れ合いが生まれる」という批判もあり、お世辞にも強豪チームとは言えないのも事実である。もっともこれらは世間一般の評価に過ぎず、本当のところはチームの中の人にしかわからないことだろう。
ただその通称・ファミリー球団が一致団結して勝ち進むストーリーには胸を打たれた。3つアウトを取って日本一が決まる前にすでに泣きそうだった青木宣親の顔にはぐっときた。ネットで感動にむせび泣いているという人たちのツイートを見ているとついに私もうるうるし始めた(これを書きながらまたちょっと涙が)。
私がこのチームを応援し始めたのは青木が200本安打を達成して大ブレイクした翌年のこと。石井一久古田敦也も、そして高津臣吾監督もまだ現役だった。それから長い冬の時代を迎え、2015年にリーグ優勝したときの高揚感は今も忘れていない。そして2021年には日本シリーズを制し、悲願の日本一を達成してくれた。
私には嫌いな球団が特にない。スワローズファンであることは譲らないが、地元に近い大阪の球団であるオリックスはむしろパ・リーグで一番優勝してほしいチームだと思っていた。そんなオリックスとの戦いだからこそ燃えた。接戦に次ぐ接戦で胃が痛くなった。特に第6戦、こちらが絶望するほどのピッチングで立ちはだかった山本由伸には拍手してもし切れないほどだった。おそらくヤクルトが勝てたのは2015年に日本シリーズを経験していたからという僅かな差だったのではないか。余談だが2021年、絶対エース・山本由伸(というか吉田正尚も)は全国の野球少年少女たちの憧れの的となった。おかげで周囲の子供たちに「なんでヤクルト勝つんだよー!」と大ブーイングを食らったほど(笑)なんでや! お前ら巨人阪神ファンやろ! と(第一、由伸は打ち崩せてねーよ!)。


などと感傷的に書いてきたが、それでも日本一は通過点だと思っている。青木宣親の日米通算3000本安打石川雅規の200勝、奥川恭伸・高橋奎二の両エースの大成、石山本願寺再建、絶望のチームをいつでも支えてくれたエース小川の意地、寺島成輝の成功、清水昇・田口麗斗のさらなる飛翔、山田哲人前人未到の4度目トリプルスリー……。見てみたい景色を挙げ出したらきりがない。
だからこれからも私はこの球団を応援し続ける。まだまだスワローズ・ウェイは道すがら。その先を見ないなんてあり得ない選択である。
この本を自室の本棚に置いて、それを見るたびに2021年のシーズンを思い出すに違いない。そのとききっと心のなかでこう呟いているはずだ。
「スワローズファンになってよかった」と。


最後にヤクルトファンはみんな知っているだろうが、最高のスワローズ本を。

長谷川晶一著『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』

未読の方は『二軍監督の仕事』読了後こちらもどうぞ。長谷川さんのスワローズ愛がどこまでもファンの気持ちに刺さる名著である。

 

高津臣吾著『二軍監督の仕事 育てるためなら負けてもいい』

続けて読んでいる人も多いという。この素晴らしい組み合わせ。最後に光文社さん、ありがとう。

1日1短編のすすめ


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ご存じ文学系YouTuberのベル氏。本動画は読書が思うように進まない現象・「読書スランプ」について取り扱っている。そうかこの現象は「読書スランプ」と呼べばいいのか、というのが第一の印象だった。
実を言うと私は最近までかなり長い読書スランプに陥っていた。原因は私生活のストレスによる集中力・意欲の低下だったらしい。本当に申し訳ないが、読書系YouTuberのみなさんの動画も重荷に感じて長い間チェックしていなかった。

仕事や研究で必要ならばともかく、別に本を読まなくても死にはしない。しかし注目していた作家やレーベルの新作がどれも読めないまま積み上がっていくさまを見ているのは精神衛生上よろしくない。積読を増やさないために少しでも読書を進める方法はないものか。生来飽きっぽい性格の私としてはどちらにしても知りたいテクニックであった。
これに関して私自身も似たようなことを調べたことがある。こちらは大した結果とはならなかったので今回はこの動画の方法を見て考えていただければと思う(改めて思ったが、この動画に限らずベル氏の読書にまつわる動画のテーマ立てはユニークで勉強になる)。

しかし他力本願で1つもアイデアを提案しないのも違うので、私が昨年実践していた方法をひとつ紹介したい。
これは基本的に小説向けの手法なのだが、やり方は実に簡単だ。短編集を選び「1日1短編ずつ読む」。それだけである。

……それのどこが読書スランプ対策法やねん! と怒られそうだが、これは意外に効き目があった。
私は本当に飽きっぽく、小沢一郎氏が党を潰すが如く読書ブログを作っては放置、作っては放置を繰り返してきた。そのとき同じプラットフォームで読書記録を書いていた方が、毎日推理小説の短編を1作ずつ読んで投稿しているのを目にする。元来遅読家の私は新書を1冊読むのにも難儀していた。しかしその方の日々の更新を見ているうちに、1日短編1作ずつならば私にも読めるのではないか? と考え始めた。
そして心機一転別のブログで実践を開始。すると案外続けられることに気づき、それから毎日の間数ヶ月更新し続けた。途中でやめた理由は数冊目からショートショート集に手を出してしまったため。読んでいる時間より記録を書いている時間の方が長くなってしまってはさすがに続けられなかった。
なお短編といっても長さの基準は人それぞれである。私の感覚では文庫本100ページを越える作品は中編であって、このレベルの長さになったら無理せず2日で読めばいいと思う。しかし毎日記録をつけないと気が済まない場合は他のところから短編を選んできて読めばいい。そういうとき(に限らないが)私は青空文庫のお世話になっていた。戦中戦後の推理小説江戸川乱歩など)は短編も多く、気分転換に読むにはもってこいである(しかも時折とんでもない名作に出会って椅子から転げ落ちそうになる)。

www.aozora.gr.jp

 

この取り組みによって読書スランプ突破の足かけとすることに成功。そして現在に至る。以前はよく読んでいた少し難しめの本に手をつけなくなっているところを見るに完全復活には至っていないが、取りあえずは読みたい本のいくつかは読めるようになったため満足している。


私の話だけ読んでもつまらないと思うので、そのとき出会ったおすすめの短編集をひとつご紹介。

梓崎優著『叫びと祈り』)

短編ミステリの新人賞として知られる「ミステリーズ!新人賞」で激戦の第5回を勝ち抜いた「砂漠を走る船の道」を巻頭に持ってきた著者のデビュー作で、だいたい同じ長さの5つの短編を収録している。主人公で探偵役の青年・斉木が世界を取材して回っている設定のためすべての作品で舞台となる国・地域が違っている。ツウ好みとされる本格ミステリゆえか評価は分かれているようだが、それぞれの国の文化や歴史を活かした作品づくりは素晴らしいの一言であった。評価が高いのは受賞作「砂漠を走る船の道」と南ロシアの修道院で起こる事件を扱う「凍れるルーシー」だが、個人的に一推しなのはアマゾンの少数民族で巻き起こる事件の「叫び」。張りつめる緊迫感がすさまじく、ネットの反応を見ると本作をNo.1に挙げる人もちらほらいるようだ。

単著未収録の「スプリング・ハズ・カム」も好きなのだが、新作はいつでるのやら……。

読書記録『AV女優の家族』

 

20年前、AV女優が家族や親友に自分の仕事を打ち明けるというドキュメンタリーを見た著者が、AV女優たちにインタビューをして家族観について聞いて回った作品。現役ないし元AV女優5人(+その家族1人)、男優1人がその対象であり、インタビュー者の写真を多数掲載している。※なおインタビュー回答者は新書のページに書かれていないため割愛。気になる方はAmazonページ等で確認されたし。

AV女優にまつわる貧困・差別に関する本は数多い。そのため「前向きになれる本」を目指したと著者は語る。言葉どおり全体を通してポジティブなメッセージに溢れており、性風俗・アダルト業界を扱ったことによる退廃的なイメージはない。著者も再三「今ではなることが難しくなった、憧れられる仕事」と書いており、インタビューでも彼女らへのリスペクトが強く感じられる。
一方で学術的な何かを求めてインタビューが行われたわけではないため、著者の論考が掲載されたページはほぼない。なぜその仕事に就くことになったか? 自身の家族とはどういう関係か? 仕事を打ち明けたとき、バレたときはどうだったか、という個別のケースに関心がある人、或いはインタビューを受けた女優・男優のファン向けの内容と言えるかもしれない(僅かだが、それぞれのファンにしか理解できないやりとりが含まれている)。

 

AVに限らず、アダルトコンテンツに対する偏見や嫌悪感は今も根強いと思われる。それらの仕事に対して相対的にポジティブな印象が持たれるようになったのは事実だろうが、ウェブ上ではほぼ毎日のように「女性への性的搾取だ」、「本人が望んでしているのだから尊重すべきだ」という炎上が起こっている。本書にその正解が書かれているわけではないし、それについてここで立ち入る必要もないが、ひとつ言えるのはこれらの仕事に就いている人にはそれぞれのヒストリーがあるということだけである。ポジティブな内容が多いために「ネガティブな印象を持っている人はそもそもインタビューに参加しない」という批判もあるかもしれないが、これは本書の趣旨と明らかに逸脱しており、別の話であるとすべきだろう。

多数写真あり、かつ全編通してインタビュー形式という構成のために全体的に分量が少ない。手軽に読める反面もう少し踏み込んだ話も聞きたかったというのが本書の感想である。ただ男優の仕事にもフォーカスを当てたこと、家族がAVの仕事をどう捉えているかというテーマは本書の重要なポイントだと考えている。
余談だが最後の当真親子の話にはうるっときた。伝統的家族観? なにそれ? 食えんの? な私としては親子関係も家族それぞれだと思っているが、二世代でお互いを尊重し合える関係というのもいいものである。

 

 

澁谷果歩著『AVについて女子が知っておくべきすべてのこと』

なお本書(『AV女優の家族』)はAV女優の具体的な仕事内容には触れていない。こちらについては澁谷果歩氏の『AVについて女子が知っておくべきすべてのこと』が詳しい。澁谷氏はAVの仕事のポジティブな内容に限らず、ネガティブな内容(セクハラに遭いやすいなど)ついても語っている。

読書記録『火星の歩き方』

 

アメリNASAの探査車パーシビアランスの火星着陸が話題になった2021年。この年、「もし火星旅行が可能になったら?」というIF(?)設定をもとに生まれたのが本書である。コンセプトは火星旅行のガイドブックであり、観光場所としての火星のユニークで美しい地形、そして歴代の探査機たちが降り立った「聖地」など、ふんだんな写真とともに紹介・解説が行われている。


第1章「そもそも火星はどんな星?」は火星の基礎知識編。本章では星のサイズや気候、地質などの基本的な情報の説明が行われる。宇宙に関する本が好きな人にはお馴染みの内容も多い。

第2章「気球でまわる火星一周」は「火星を気球で飛ぶことができたら」という前提で火星の興味深い地形をひとつひとつ紹介していく。ツアープランには最初に訪れるアマゾニス平原、次章で掘り下げる太陽系の最高峰級・オリンポス山、グランドキャニオンよりも深い火星の裂け目・マリネリス峡谷などが並ぶ。個人的に印象的だったのはあまりに巨大過ぎて火星の自転軸を傾けてしまったタルシス三山の箇所だろうか。

第3章「オリンポス登山」では「もし標高20000メートルを超えるオリンポス山で登山するとしたら?」という稚気に富んだ前提でそのルートを紹介する。ここではオリンポス周辺の地形に注目しており、こちらにも多くのページが割かれている。
そもそもオリンポス登山は現実的に不可能なわけだが、もし地球に同じ山があったとしてもその経路は想像を絶する。そもそも麓から山頂まで水平距離でおよそ300kmである。宇宙服を来てそんな距離は歩けないだろう。
ここで紹介されるルートはアメリカの天文学者ポール・ホッジ氏が自著で出したプランとのことだが、なんとも面白そうな著作である。

第4章「火星の極地へ」では火星の北極・南極を紹介する。水と二酸化炭素の氷が生み出す興味深い地形のほか、水の流れと見紛う砂丘の存在にも触れている。

第5章「待ちきれない人へ」では地球上で火星のような地形・環境を体験できる「火星アナログサイト」を紹介している。溶岩の爆発で生まれる火星のルートレスコーンと同様の地形が見られるアイスランド、溶岩チューブの穴を見学できるハワイ、ミニ・アマリネリス峡谷を知れるグランドキャニオン。ところどころ脱線しながらも美しい大自然の写真が掲載されていて嬉しい。

 

光文社新書の宇宙関係書となると個人的に思い出すのが春山純一著『人類はふたたび月を目指す』である。月面着陸・探査を巡る歴史の解説はもちろんだが、月の正体を探る研究者たちの熱きドラマは良質な小説を読んでいるような没入感を味わえるため個人的にかなりおすすめの本だったりする。本書はその火星版として最初から注目していた(なお溶岩チューブについては『人類は……』でも大きく取り上げられている)。
本書は一般書における火星の解説という比較的類書の少ないところがウリと言える。ガイドブックということで紹介・解説される地形もなかなかにマニアックである。しかしそれぞれの解説が非常にていねいで、再び話題にあがっても別章ならば再度解説してくれる良心設定が心憎い。このため途中から読み直しても特に不便なく読み進められるのがよかった。ポケットサイズの新書であり、この値段でカラー写真が多数掲載というのも○である。
著者が3人いるためか各章・コラムの色が大きく違い、特に宇宙を巡る倫理について展開するエピローグには胸をぐっと掴まれた人も多いだろう。まとまりがないと言われればそれまでだが、宇宙や火星の楽しみに目覚めた大人にはちょうどいい入門書となるはずである。科学ドキュメンタリー番組「解明宇宙の仕組み」なんかが好きな人にもおすすめである。


余談だが第3章で紹介されたポール・ホッジ氏の著作。気になったので調べてみたが、副題を見るに他の太陽系の山々も登っているのだろうか? 英語力に自信はないがちょっと読んでみたい気もする。

読書記録『「女性向け風俗」の現場 彼女たちは何を求めているのか?』

 

はじめに
第1章 演技に疲れた女性たち
第2章 独身女性の胸の内
第3章 50代からの風俗
第4章 感じない悩み・性交痛
第5章 セックスレスの夫婦たち
第6章 処女のお客様
第7章 中イキを経験させて下さい
第8章 喪失感を抱える障がい者
第9章 ユーザー座談会
第10章 女性向け風俗の裏話
第11章 日本の男女の性、未来予想
おわりに
(光文社当該書籍ページより)


女性向けの風俗店を運営するセラピスト柾木寛氏が、自身の施術の際に耳にした「女性の性に対する本音」を集めた本。あとがきによれば女性が人に話すことのできない性に関する本音を「男性向け」に書いたとのことである。

性風俗店は女性が男性に性的なサービスを提供するものしか存在しないと思われがちだが、女性向けにサービスを提供する店舗も推定200店舗ほど存在するという。しかしそのサービス内容は玉石混淆で、単に男性セラピストが己の性欲を満たしたいがために運営しているものも多いとのことである。これらのサービスを利用することに対する女性たちの心理的障壁は、社会通念で考え得る以上に高いものとなっている。著者のもとを訪れる女性には「トラブルや犯罪に巻き込まれるのではないか?」という悩みから何ヶ月も利用を渋った人も多く、また遺書を書き残して家を出てきた人のエピソードも挙げられている。

柾木氏は40代男性で、本文中では自身を「セラピスト」、「サービス」を「施術」と書いている(おそらく「性風俗」を連想する言葉が女性に抵抗を生みやすいためだと思われる)。サービス利用者の年齢は主に20〜50代と幅広く、その動機も様々である。そのなかで性交痛に苦しみながらも「感じる」演技をしている女性、新婚なのにサービスを利用したがる女性、「処女だと思われたくないから」という(一昔前では考えられなかった)動機の若い女性らに出会い、その本音を聞くうちに男性たちの女性に対する誤った「性」理解、男女のすれ違いを改善したいと考え、本書の執筆を考えたという。

 

それぞれの章が非常に細かく分けられており、書籍現物かAmazonで目次を読めば書かれていることのおおよそは理解できると思われる。そのためここで逐条的に内容を紹介することはしない。しかしこれまで秘匿されてきた女性の性の問題がSNSの普及から可視化されてきたこと、恋人や夫の気持ちを慮って「満たされない気持ち」がいつまでもすれ違い続けているカップルの本音など、見事な分析と価値ある情報の数々は特筆すべきだろう。
また専門用語が飛び交わず、俗語の散見される文章は「いい意味」で新書らしくなくてよかったかもしれない。医学の専門家ではない著者が割り切ってわかりやすく書いているのもあるだろう。学術的な価値のある情報は少ないかもしれないが、女性たちが抱えるさまざまな悩みを顕在化させる試みには充分過ぎるほど価値がある。
ただひとつだけ細かな注文をつけるならもう少しだけ男性側の性の悩みに寄り添った章があってもよかったかもしれない。自身も性の悩みを持っている男性にとって、これらの真実はキャパオーバーを招きそうだからである。

 

『男子の貞操 僕らの性は、僕らが語る』

男性の性に関する本音ではあとがきにも名前のあったホワイトハンズの坂爪真吾氏が得意とする分野である。障害者の性という非常にセンシティブな分野にも言及した書籍を書いているため合わせておすすめしたい。

 

 

『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由 幻冬舎文庫
こちらは切り口が違うものの、作中に登場する女性の悩みに繫がる「子宮摘出」に関する体験エッセイとしてアルテイシア氏の本書を紹介したい。本書はユーモラスで非常にいい本なのだが、扱うテーマが多岐にわたっていてタイトルで損をしている気がする。

読書記録『アリスが語らないことは』

 

大学の卒業式を間近に控えた青年ハリー・アッカーソンの元に父親の訃報が届く。彼の父ビル・アッカーソンは日課の散歩から帰らず、崖から転落して死んでいるところを発見されたという。

 

メイン州ケネウィックの実家に帰ってきたハリーを待っていたのは若き継母のアリスだった。アリスは父の再婚相手で、ハリーとはわずか15歳の年齢差しかない。父とアリスの夫婦生活は数年足らずであり、大学のあるニューヨークに住んでいたハリーは彼女のことをよく知らないのだった。

 

夫の死にショックを受けるアリスは料理に没頭することで悲しみを紛らわせようとしている。しかし散歩からの帰り道、ハリーはキッチンで作業するアリスの横顔に奇妙な感情を読み取ったのだった。

 

警察の調べではビルが殺された可能性もあるという。警察に触発されて事件を探り始めたハリーは、それまで知らなかった父親の一面を知ることになる。

 

物語は事件の謎を追う青年ハリーを中心とした現在パート、そして少女時代のアリスを描いた過去パートが交互に進んでいく。現在パートがわずか数日のスパンに収まる一方、過去パートはアリスの半生を魅力的に、そしてときに不気味に描きながら現在の時間へと着々と近づいていく。

 

あくまで個人の感想ではあるが、巧みだと思ったのは過去と現在が交錯して段階的に謎が解けていく展開となっていないこと。もちろん事件に繫がるヒントは与えられているのだが、過去編はアリスというキャラクターの秘密を描くことに眼目が置かれているのが明らかで、彼女の謎に惹きつけられるようにページを捲ってしまう。

 

アリスの、そして彼女にまつわる人々の関係は理解の範疇を超えるものばかりだろう。多くの人が「あり得ない」と評する(と思われる)人間関係の連なりが本作の不気味さを生み出しているのは間違いない。その描き方が絶妙で、淡々とした心理描写の間隙は想像では補い切れないままに放置される。それらは長閑な港町にあり、そこで起こったという事実以外には落としどころが見当たらない。見えない一本の糸を探して読み続けるうちにあっという間に物語は急展開を迎えるのだった。ネタバレを避けるとどうしても曖昧な表現になってしまうが、積み重なる過去はハリーの登場なしに変わることはなかっただろう。

 

 

私にとって推理小説とは「不可解な謎の提示」と「超人的頭脳を持つ探偵の登場」がすべてだった。もちろん本格ミステリ以外の推理小説も認めてはいたのだが、ここまでサスペンス色の強い作品は読もうとしてこなかったように思う。今はっきりわかる。ただの食わず嫌いだったと。

作中でミステリー好きのビルは「混沌の世界に秩序を与える探偵の登場」をそれらの魅力として挙げていた。しかし推理小説の過程で厳密に証明し得るのはその犯人や犯行の方法ぐらいだろう。法の番人としての警察や、その代行者としての探偵はわかりやすい正義によって犯人を指し示す。しかし何十年スパンで連綿と続いてきた本作のような事件には、殺人者を解き明かしたぐらいでは秩序は戻って来ない。混沌は混沌のままで、どのようなかたちで贖いがもたらされるのか。そればかりが気になってしまうのだった。

もちろん本作を本格ミステリとして楽しむことは可能である。ただやはり注目点はアリスという女性の秘密にこそあるだろう。

 

普段読まないジャンルゆえ、うまく伝えられない自分がもどかしい。ピーター・スワンソン。また必ず他の作品を読みたいと思う。

 

なお原題は“ALL THE BEAUTIFUL LIES”。意味は吉野仁氏の巻末解説を読むとよくわかると思われる。

読書記録『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』 

 

ノーム・チョムスキーがなぜ気候問題? そう思った人も多いだろうし、それゆえ関心を持った人も多いのではなかろうか。

 

グリーンニューディールとは、地球温暖化の対策とそれに伴う経済的不平等の対処の両立を目指す経済政策である。また同名の政策提言書のことをいう。アメリカではオバマ政権下に提唱され、次期トランプ大統領期に廃止されたことで知られる。

 

本書はアメリカの例を中心に、2050年までの二酸化炭素排出量実質ゼロの世界を目指すための方策を探る本となっている。内容は著者ふたり(ノーム・チョムスキーとロバート・ポーリン)の半インタビュー形式であり、脱炭素がいかに必要か、そしてそれを現実に実行可能であることを示している。

 

第1章「気候変動の実像」では「環境危機は核兵器危機と共に人類史上初の真に実存的な危機」として、これまでに人類を襲ったあらゆる危機との対比が行われている。また本書が執筆された2020年4月現在の世界の情勢も見て、気候変動を解決するのに一刻の猶予もないことを示している。

 

第2章「資本主義と気候危機」ではなぜこれらの気候変動を抑える活動がうまくいかないかを解説していく。「資本主義の論理を放置すれば(地球環境は)破滅する」という一文など少々一方的な発言もないではないが、これらの阻害要因を列挙すること自体は必要なことだろう。

 

第3章「グローバル・グリーンニューディール」では「政治的に現実味があり、かつ経済的にも実行可能なグリーンニューディール構想」とはなにかを見ていく。経済格差への言及やふたりの意見の食い違う原子力利用の賛否のほか、必要な予算の数値と工面方法など最も踏み込んだ内容といえる。

余談だが、脱成長的アプローチが有効かどうかという意見に対し「25年間ほぼ経済成長していないのに相変わらず世界トップレベルの二酸化炭素排出量を誇る日本を見れば(結果は)わかる」という旨の文章がある。ぐうの音もでないとはこのことか。

 

第4章「地球を救うための政治参加」では現実に進行する環境問題と関わる思想・活動への考えをふたりに問うている。

ここで目を引いたのが数ヶ月以内に大規模展開が現実的に可能な方法として「公共ビルや商業ビルの完全省エネ化」を挙げているところだろうか。本書に書かれていることを実現するための行動に早過ぎるということはない。

 

 

グリーンニューディールには賛否両論激しい。あまりに非現実的だとする意見、単純に左翼的で気に入らないという感情論、そもそも人為的な二酸化炭素排出が気候変動の原因ではないという懐疑論

 

個人的にも数年間「本当に地球温暖化による気候変動なんて起こっているのか? 異常気象といいつつ伊勢湾台風級の台風なんて長い間来ていないぞ?」と思っていたことがある。ただ多くの気候の専門家が警鐘を鳴らしていることを個人の感想で否定できるとは思っていないし、素人なら素人なりに考えてみるべきだとも思うのだった。

 

気候変動は特定の国や団体を儲けさせるための欺瞞だという陰謀論も花咲いている。確かに多くの人類が予想する通りに地球温暖化が進む可能性は100%ではない。ただこれに対してポーリンは言う。

 気候変動に付随する不確実性という現実に向き合ったとき、浮き彫りになる問題が一つある。科学界の総意が実は誤っていたとしたらどうか。より正確に言い換えるならば、気候変動から深刻な被害が何も生じないという、比較的確率が低い結果が実現するのだとしたらどうか。その場合、世界は30年間で数兆ドルもの金額をありもしない問題の解決のために浪費したということになるだろうか。

 現実はといえば、私たちは気候変動の影響に関して100%の確実性を待つのではなく、合理的な確率の推計に基づいて確固たる行動をとるべきだ。

(第1章「気候変動の実像」より

 

グリーンニューディールはラディカルと言われても仕方のないほどの抜本的な改革を必要とする。しかしそれは無謀(に見えるよう)な政策でも断行しなければならぬほど環境悪化が進んでいるためで、知っていながら看過してきた前世代のツケを否応なく払わされているだけのことに過ぎない。地球温暖化が予想通り進んでしまった際のリスクを、払わなくていい世代の甘言に乗ったために負わされる愚を犯してはならないだろう。確実でなくてもこれらの政策を「保険」として行っていく道は間違っていないはずだ。

 

「私は正しい。もし他の人たちにそれがわからないならば、それは相手の問題だ」

 そうした態度は往々にして有害な結果を招く。

(第4章「地球を救うための政治参加」より)

グリーンニューディールに対する世界中の「シガラミ」を具体的に論じて解決策を提示するような紙幅は本書にはない。本当はその方法を知りたくて手に取ったのだが、もちろんそんなにうまい話は世界中の遺跡を発掘し尽くしても見当たらないだろう。しかしもうすべて手遅れだと諦める必要のないことだけは示してくれた。

 

内容に賛否はあるだろうが、少しでも関心のある人にはぜひ薦めたい一冊である。

 

 

ところで本書を知ることになったツイートがこちら。これひとつで紹介は事足りる気もした。

プロ野球捕手に読書は必要か


昨今元プロ野球選手が何人も野球に関するYouTubeチャンネルを開設している。なかでも人気なのが元ヤクルトの古田敦也氏が運営している「フルタの方程式」。古田氏は現役時代「球界の頭脳」と呼ばれたほどの名捕手で、野球の解説には定評がある。今回はその「フルタの方程式」にアップされたプロ野球選手はマンガを読むと怒られる?【キャッチャーズバイブル】」を紹介したい。

 


www.youtube.com

(2022/4/8取得)

 

内容を簡単にまとめると「スポーツ選手に読書は必要か?」となる。もちろんプロスポーツ選手は圧倒的なフィジカルなくして活躍できない。読書をする時間があるならもっと練習すべき、身体作りすべきと言う意見もあるだろう。この動画のユニークなところは元プロ野球捕手たち(古田敦也、元横浜・中日の谷繁元信、元広島の達川光男)が集まってその必要性に自身の意見を述べているところだ。プロ野球選手、ましてやトップ捕手たちの意見などそうそう聞けるものではないし、この動画には一見の価値があると思われる。

野球に詳しくない人のために一応解説しておくと、捕手は野球のポジションでピッチャーのボールを受ける人、いわゆるキャッチャーである。野球の守備陣形において唯一他のすべてのポジションの選手を見ながらプレイすることになり、同時にピッチャーに配球を指示するなどチームの司令塔としての役割が求められる。このため殊に日本では捕手=頭脳派のイメージが強い。

詳しくは動画に譲るが、古田氏の読書習慣は野村克也監督の影響が強いという。野村克也氏といえば「ID野球」の名で知られる頭脳派野球の提唱者である。今ではこれらの戦略は当たり前になっているが、当時は野村監督の専売特許だったに違いない。野村監督は自分のチームの選手に頭の良さそうな印象を望んだようだ。

古田氏は捕手の読書の必要性を「ピッチャーなど、いろんな人と付き合うから」と答えている。またこれは野球選手全員に関わることだが、文字に慣れていない(文字を拒絶する)野球選手がミーティングに集中できないことも挙げている。
谷繁氏は横浜時代のバッテリーコーチ・大矢明彦氏に言われていろんな本を読むようになったという。本を読むことで投手に指示を出す際に自分のいろいろな言葉が出るようになったという。

これらのコメントはこれから読書に力を入れたいと思っている人、読書教育に関わっている学校の教職員らにとって有益な情報と言えるのではないだろうか。あくまで個人の感想であるし、読書と読解力に因果関係なしという人への反論にはなりえないだろう。ただし少なくとも彼らの野球人生に多少なり読書が影響していたわけであるし、これから本を読むという営みをする人にとって一筋の希望となることは間違いないはずだ(もちろんプロを目指す野球少年少女たちにも)。

なお達川氏のエピソードは面白いし詳しい話が気になるのだが、ここではあえて触れないので動画本編で確認していただきたい。現役時代を知らない人には話がおもしろい愉快な人に見えるが、現役時代は結構な戦略家だったらしい。

最後に捕手が頭をよく見られないといけないという点について。これは私見だが、古田氏が他の動画などで「高卒ルーキーで捕手のポジションを勝ち取ることの難しさ」を語っていることが参考になる。捕手は投手らに指示を出すポジションである。そのため親子ほども年の離れたベテランレギュラーに対して若い捕手が指示を出すことは大変だという。

それら年上のチームメイトたちに認めてもらうことは容易ではない。大ベテランを含むどんなチームメイトともコミュニケーションを取れる知識量は読書によって培われるだろうし、そもそも物や言葉を知らないのでは目上の人たちに舐められてしまうだろう。頭脳派のイメージの強い捕手ならなおさらその傾向があるに違いない。

 

余談。

古田敦也氏といえば『古田式・ワンランク上のプロ野球観戦術』がおすすめ。野球観戦は好きだけど野球未経験で詳しくないという人に向いている。非常にわかりやすいし、野村克也氏が徹底ミーティングをしたという投球カウントごとの投手と打者の心理・駆け引きは一読の価値あり。