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気まぐれ系読書ブログ

読書記録『アリスが語らないことは』

 

大学の卒業式を間近に控えた青年ハリー・アッカーソンの元に父親の訃報が届く。彼の父ビル・アッカーソンは日課の散歩から帰らず、崖から転落して死んでいるところを発見されたという。

 

メイン州ケネウィックの実家に帰ってきたハリーを待っていたのは若き継母のアリスだった。アリスは父の再婚相手で、ハリーとはわずか15歳の年齢差しかない。父とアリスの夫婦生活は数年足らずであり、大学のあるニューヨークに住んでいたハリーは彼女のことをよく知らないのだった。

 

夫の死にショックを受けるアリスは料理に没頭することで悲しみを紛らわせようとしている。しかし散歩からの帰り道、ハリーはキッチンで作業するアリスの横顔に奇妙な感情を読み取ったのだった。

 

警察の調べではビルが殺された可能性もあるという。警察に触発されて事件を探り始めたハリーは、それまで知らなかった父親の一面を知ることになる。

 

物語は事件の謎を追う青年ハリーを中心とした現在パート、そして少女時代のアリスを描いた過去パートが交互に進んでいく。現在パートがわずか数日のスパンに収まる一方、過去パートはアリスの半生を魅力的に、そしてときに不気味に描きながら現在の時間へと着々と近づいていく。

 

あくまで個人の感想ではあるが、巧みだと思ったのは過去と現在が交錯して段階的に謎が解けていく展開となっていないこと。もちろん事件に繫がるヒントは与えられているのだが、過去編はアリスというキャラクターの秘密を描くことに眼目が置かれているのが明らかで、彼女の謎に惹きつけられるようにページを捲ってしまう。

 

アリスの、そして彼女にまつわる人々の関係は理解の範疇を超えるものばかりだろう。多くの人が「あり得ない」と評する(と思われる)人間関係の連なりが本作の不気味さを生み出しているのは間違いない。その描き方が絶妙で、淡々とした心理描写の間隙は想像では補い切れないままに放置される。それらは長閑な港町にあり、そこで起こったという事実以外には落としどころが見当たらない。見えない一本の糸を探して読み続けるうちにあっという間に物語は急展開を迎えるのだった。ネタバレを避けるとどうしても曖昧な表現になってしまうが、積み重なる過去はハリーの登場なしに変わることはなかっただろう。

 

 

私にとって推理小説とは「不可解な謎の提示」と「超人的頭脳を持つ探偵の登場」がすべてだった。もちろん本格ミステリ以外の推理小説も認めてはいたのだが、ここまでサスペンス色の強い作品は読もうとしてこなかったように思う。今はっきりわかる。ただの食わず嫌いだったと。

作中でミステリー好きのビルは「混沌の世界に秩序を与える探偵の登場」をそれらの魅力として挙げていた。しかし推理小説の過程で厳密に証明し得るのはその犯人や犯行の方法ぐらいだろう。法の番人としての警察や、その代行者としての探偵はわかりやすい正義によって犯人を指し示す。しかし何十年スパンで連綿と続いてきた本作のような事件には、殺人者を解き明かしたぐらいでは秩序は戻って来ない。混沌は混沌のままで、どのようなかたちで贖いがもたらされるのか。そればかりが気になってしまうのだった。

もちろん本作を本格ミステリとして楽しむことは可能である。ただやはり注目点はアリスという女性の秘密にこそあるだろう。

 

普段読まないジャンルゆえ、うまく伝えられない自分がもどかしい。ピーター・スワンソン。また必ず他の作品を読みたいと思う。

 

なお原題は“ALL THE BEAUTIFUL LIES”。意味は吉野仁氏の巻末解説を読むとよくわかると思われる。