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気まぐれ系読書ブログ

読書記録『トリックといかさま図鑑 奇術・心霊・超能力・錯誤の歴史』

 


言わずと知れた科学読み物の老舗ナショナルジオグラフィックによる「マジックや心霊現象、超能力にまつわる歴史」の本。200ページ以上もありながらそのほとんどは関連する道具や場面の写真や図版で占められており、さながら豪華な装丁の博物館企画展図録のようである(※実際似たような出版来歴らしい)。

 

本書は催眠術や超能力、マジックの歴史について別々に章立て追っていく構成となっている。それらのいかさまやマジックがいかにしてその時代の大衆や研究者に受け入れられ、どのような変遷を辿ったかが短くまとめられていてとても興味深い。「シャーロック・ホームズ」シリーズで知られるコナン・ドイル心霊主義に傾倒していたこと自体驚きなのだが、懐疑派の奇術師ハリー・フーディーニとドイルの対立のエピソードは現代における陰謀論争に似たものを感じた。

 

特に印象的だった一文が第3幕「心霊研究家」の冒頭に書かれている。

 

 科学者はいかにして心霊主義に魅せられていったのか。また、なぜ彼らはいともたやすくいんちき霊媒の手玉に取られてしまったのかーーそれらを理解したいなら、19世紀から20世紀への変わり目に重なる科学とテクノロジーの激動期のことを考えるべきだろう。
 当時は、それまで想像もできなかった目に見えない物理的な力が、相次いで発見された時代だった。科学界は放射線学と電磁気学の発達に沸いた。であれば、フォックス姉妹ら次々に登場する霊媒たちを新種の「霊的電信」と考えることが、それほど突飛なことだろうかーーそのような疑問を抱く人々がいても、不思議はなかった。

 

疑似科学が飛び交う現代においても非常に示唆的な話である。科学の発展期に第一線にいた学者たちでさえ、いやいたからこそ「到底信じられないような力」を信じてしまったと言えるわけである。

 

なおフォックス姉妹は霊と対話できるとして17世紀アメリカで話題になった少女たちである。彼女らは霊媒として心霊主義ブームの走りとなったが、40年ののちに「あれはインチキだった」といかさまの方法を語っている。ただすでに心霊ブームは盛り上がり過ぎており、彼女らの告白ぐらいでは心霊主義人気は揺るがなかったという。

 

心霊主義やマジックは時代を越えて何度も交わっていく。その多くはマジシャンによるいんちきの暴露などである。やがて超常的な力は一部で超心理学に名前を変え、現代へと続いていく。通読すれば心霊主義やマジック、理性的な科学が相互に交わりながら発展(?)してしたことがわかるはずである。特に第5幕「錯覚の心理学」では現代における科学とマジックの接近の事例が紹介されている。

 

本書の趣旨はあくまで心霊主義やマジックの変遷を辿るものであって、当時の人々を惑わせたトリックやいかさまの種の解説ではない。もちろん本文中に掲載されているトリック・いかさまについて解説している部分もあるが、気になる人は別の書籍を参照してほしい。

※超能力関係ならASIOSの『超能力事件クロニクル』がおすすめ。

 

私も最初はそれらの種明かし本だと思って手に取った。しかし心霊主義やマジックの受容の歴史という視点はそれ以上に魅力的であり、却って引き込まれてしまう結果となった。

 

後半誤字が目立ったことは残念だが、それを補って余りある一冊である。

読書記録『パパの家庭進出がニッポンを変えるのだ! ママの社会進出と家族の幸せのために』

 

 

病児保育で知られるNPO法人フローレンスに勤める著者が、自身の育児休業経験を通して知ったこと、そして子どもが幸せに生きられる社会を実現するために考えたこと・行動したことを記したエッセイ集。OECDの統計によれば先進国中で最も父親が家事育児をしていない国が日本である。そこで「女性の社会進出の前に父親の家庭進出が必要」だと著者は説く。父親視点で見る子育ての現場という趣旨だけで充分過ぎるほど読む価値がある本だが、子どもにまつわる各種問題提起など、父親以外の属性の人にも学びになる内容が溢れている。


第一章「パパの子育ての“不都合な”真実」では著者が実際に育児休業を取り、子育てのあまりの大変さ、そしてママとの意思疎通がうまくいかなかった経験を書いている。家事育児をする上で妻といっしょにお互いのやっていることをリストアップしたという箇所があるが、子育て未経験の私はその図だけで大いに驚かされた。
そしてここから日本の父親たちがなぜ育児休業を取らないか? 日本の育児休業制度はどうなっているのかを各種統計をもとに解説していく。


第二章「“伝統的家族”の呪いが、少子化をつくりだす」では日本の女性のジェンダーギャップの解消についての話からスタートする。男女の職場におけるキャリアアップ機会の不平等をどうしていくべきなのだろうか。この問いに対し「女性が社会進出をすると少子化が進むのではないか?」という反論をもつ人もいる。しかし著者がOECD加盟24カ国の統計をまとめて作ったグラフは女性の就労率と合計特殊出生率に正の相関があることを示している。残念ながら日本では女性の就労率と合計特殊出生率に同様の関係は見られないが、これは女性のケアワークの負担が減っていないからだと指摘する。


第三章「子育ては自己責任?」
ここでは日本にはびこる「勝手に産んだんだから親なら責任持て」論争に著者が一石を投じている。ここでは最初に妊婦健診・出産にどれほどの費用がかかるのか? を著者が紹介しているのだが、表によればどこの都道府県でもかなりの費用がかかっていることがわかる(著者は出産育児一時金で一部返ってきても15万は持ち出しだったと語る)。
日本では子育て自己責任論があまりに強過ぎる。出産・育児をする親の負担を減らすべく不況の国にできることはないのか? 著者はデヴィッド・スタックラー、サンジェイ・バスらの古典的名著『経済政策で人は死ぬか? 公衆衛生学から見た不況対策』をもとに子育て世代を助けるべきという選択をすすめている。

 

第四章「子どもにお金をかけるまちは、人もお金もどんどん増える」では実際に家族関係支出を増やし、地域を活性化させている事例として兵庫県明石市の事例を紹介している。
明石市の2018年度の合計特殊出生率は1.70。全国平均の1.42よりずいぶん高い数字である。もちろん人口も税収も伸びており、ここではその立役者となった泉房穂市長にインタビューをしている。
駅前に安く子どもを預かってくれる施設があったり、1歳になるまでオムツなどの育児用品を無料で届けてくれるサービスがあったり、その手厚い子育て支援には驚くばかりである。子どもの将来を守ってくれるまちだったら喜んで税金も払いたくなる。

 

第五章「パパだから、ちょっと社会を変えてみた」は保育教育現場で起こる性犯罪防止のために著者が政治家らに働きかけた記録である。性犯罪になど決して手を染めない多くの男性保育士・教員らのことを思うととても胸が痛いが、子どもたちの被害を思うとこういう動きも必要なのかもしれないと思っている。

 

最終章「私たちの「幸せ」を考えてみる」では著者を突き動かす「幸せ」の意味を考える。なぜ大変な子育てをし、妻と家事を分担し、それらを取り巻く社会の在り方を変えていこうとするのか? 政治家にロビイングまでする人は少ないだろうが、その答えはひとりひとり違うはずである。

白状すると本作を読み終えたのはちょうど2月前である。さすがに今さらと思っていたが、いざブログを開設したら「絶対紹介すべき」と気持ちが止まらなくなってしまった。時間が空いたため少々熱量の足りない感想文となってしまったが、間違いなくいい本である。

作中でも言及があるが、本作をうまく補完する本に『「家族の幸せ」の経済学 データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実 (光文社新書)』がある。


本書(『パパの家庭進出がニッポンを変えるのだ! ママの社会進出と家族の幸せのために』のこと)は非常にわかりやすい文章運びとなっているが、メインは著者の経験についてのエピソードとなっており、一部データ解釈についてもう少し踏み込んだ記述を求めたくなる。しかしこの本では共通するテーマをさらなる海外統計で解説していくため理解が深まるはずである。

ところで著者はYouTubeSpotifyにてラジオ番組を作っている。その名も「ソーシャルレンズラジオ」。


www.youtube.com

 

まだコンテンツは少ないが、内容は本書で著者が語っているそれをさらに深く読み解いていくものとなっている。忙しくて本を読んでいられない人にはまずこのラジオの視聴をおすすめしたい。最初からでなくても好きな順で構わない。ただし本書の内容と完全に一緒ではないため、ラジオですべて回収されるわけではないことは忘れてはならない。

 

まちを歩けばどうして人々はこうまで子育て世代に冷たく接するのか。未就学の子どもを連れて入るだけで露骨に嫌そうな顔をするラーメン屋の店長、子育てうつになった女性の話になると「お前が産んだんやろ!」と自己責任論を振りかざす人。子育て当事者でなくても見ていて怒りしかない。前者のような店には二度と行かないし、後者もそんな連中がこれから出産→育児を経験することになったらくどくどとその認識の誤りを正していきたいと思う。
不用意にジェンダーを語れば不毛な対立を増やすだけなのでネット上では話さないようにしているが、これは子どもにかかわることである。「男が全部悪い」わけではないし、「男もつらいんだから女も我慢しろ」は筋悪である。イデオロギーの主張など放っておいて、少しでも世の中がよくなっていくよう社会のアップデートを図っていかなくてはならないだろう。

読書記録『二軍監督の仕事 育てるためなら負けてもいい』

 

 

東京ヤクルトスワローズ監督の高津臣吾氏が二軍を率いていた際の作。球団ファンに向けた裏話も交えながら二軍監督としての仕事を紹介していく。
なお昨シーズン日本一を達成したこともあってか、続編『一軍監督の仕事』が今月発売予定である。

 


第1章「育てる 育成には、プランが大切だと改めて知った」では二軍監督の仕事について簡単に解説している。振るわなくても打順を変えずに辛抱して使い続ける理由、二軍監督の仕事の醍醐味は高卒選手の育成にあることなどが述べられている。個人的に興味深かったのは今や球界の代表的なスラッガーとなった村上宗隆は、元横浜DeNAの筒香嘉智の育成プランを(外から)意識して育てられたという点である。

 

第2章「モチベーションを高めるために必要なこと」では二軍選手たちのモチベーション管理について持論を述べている。特に大事としているのは練習するだけでなく試合に出る機会を与えることだという。またメジャーリーグ経験のある高津監督ゆえ、一軍と二軍の区別が必要だと書いている。もちろんそれはメジャーと比較して劣悪なマイナーリーグの環境に合わせろという意味ではない。

 

第3章「育てる組織」では主に二軍スタッフの仕事についてアメリカ・マイナーリーグや国内他球団との比較も交えて解説している。ここでも面白いのがマイナーリーグの事例である。高津氏の関わった球団のコーチングスタッフは監督と打撃コーチ、投手コーチの3人のみだったという。監督が三塁コーチャーを務めるなどなんでも兼務をしなければならないため、アメリカではスタッフも育てられていく感じがあったという。
      
第4章「コミュニケーションが円滑な組織を生む」ではコーチ陣とのコミュニケーションや二軍に落ちてきた若手やベテラン、外国人選手らとの接し方について書かれている。またここでは自身の選手時代の印象的なミーティングについても触れられている。

 

第5章「監督になって知る野球の奥深さ」では監督の視点から見た野球の見え方について書かれている。当然だがバント指示や打順、サインの扱いは監督の仕事である。これらの戦略論ならばすでに何冊もいい本が出ているが、現場でサインはどのように送られ、見られているかの部分はなかなかに新鮮に読めた。

 

第6章「僕が学んだ監督たち」では高津監督が現役時代に関わった指導者たちのパーソナリティやエピソードが満載となっている。特に印象的なのは野村克也監督の徹底したミーティング、そして日本では考えられないラフさのホワイトソックス元監督オジー・ギーエンのお祭り野球であろうか。

 

第7章「二軍珍事件簿」は一軍では考えられない二軍戦のおもしろエピソードを集めている。ヤクルトファン向けのボーナストラックのような章だが、二軍試合はコーチも育てるという部分は素直に興味深かった。


私がヤクルトファンかつ光文社新書ファンのため買った本だったのだが、多忙を言い訳にしてずいぶん放置していた。光文社新書には面白い野球本が多々ある。全部読んだわけではないが、特に好きなのは『セイバーメトリクスの落とし穴』と『監督・選手が変わってもなぜ強い? 北海道日本ハムファイターズのチーム戦略』である。

 

 

前者は野球の細かな部分を知ることができるし、あまり詳しくないメジャーリーグについての解説が嬉しい。後者は野球そのものにあまり触れないものの、球団経営の裏側について詳しく知ることができる。さて本書の魅力はやはりメジャーリーグ経験者の現役監督という視点であろう。高津監督は韓国や台湾、独立リーグでも経験があるためプロ野球を客観的に見るための比較対象に困らない。欲を言えばアメリカ以外の野球についても触れてほしかったが、それは続編の『一軍監督の仕事』に期待したいと思う。

 

余談だが、二軍時代の高橋奎二の向上心の高さに何度も触れているのがすごい。今やヤクルトのエース候補である。あっぱれ。