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気まぐれ系読書ブログ

読書記録『クワバカ クワガタを愛し過ぎちゃった男たち』

 

プロローグ

第1章「魔性のクワガタ」
第2章「戦うために生まれてきた」
第3章「血の力」
第4章「コーカサスに恋して」
エピローグ
(出版社HP同書のページより)

人生をクワガタのために捧げた人たちを敬意を込めて「クワバカ」と呼び、彼らの生態・人生を訪ね歩く。幻と言われたマルバネクワガタの存在に魅了され、その収集に命を賭けた男たちを題材に日本のクワガタ採集史を瞥見する「大人の課題図書」でもある。

「瞥見」とは書いたが、その溢れる熱さに心は躍る。大人になっても子供の遊びに夢中になる人を世間はバカと呼ぶだろう。でも、その夢中さゆえに犯した過ちが時に愛おしく感じられるものである。

 

本書の半分以上は上記の「マルバネクワガタ」を追うストーリーで占められている。第1章「魔性のクワガタ」がそれで、夢のクワガタを求め続けた男たちのインタビューを重ねながら、日本のクワガタ分類学・採集の歴史を描き出していく。*1南西諸島に棲む幻のクワガタ・マルバネに魅せられたコレクターたちは、恐ろしいハブの犇めく暗闇のジャングルを極限の緊張感をもって探し回っていたという。クワガタ採集は一般人の想像より遙かに過酷で、命の危険を伴っているようだ。またマルバネを追って沖縄に移住した人々の話もたびたび登場し、彼らがいかにクワガタに入れ込んでいるかを知らしめてくる。そしてマルバネやオオクワガタが乱獲に遭って数を減らした(とされる)歴史にも触れているところが注目点だろうか。著者は各種クワガタ取引を可視化したネットオークションの問題点を指摘している。オークションでクワガタが取引されるところを目にすることで乱獲が促進されたり、また「自分の土地のものを勝手に持っていって商売している」と気分を害する人々が現れたことは否定できない。なによりマルバネ捕獲にまつわる規制に対して、それは採集者ではなく行政による自然破壊を主要因だと考える人がいるという指摘も注目に値する。
続く第2章「戦うために生まれてきた」は国産クワガタを捕獲して事実上の外国産クワガタたちの決闘・クワガタバトルに挑戦した著者の体験記で、第3章「血の力」はクワガタブリーダーたちの世界を描いている。どちらもページ数は少ないが、第1章と比べてどこか微笑ましく、楽しく読める内容となっている。
第4章「コーカサスに恋して」は世界一のクワガタ王国インドネシアに遠征した著者が、旅の仲間たちの昆虫人生を聞き取ったものとなっている。厳密にはこの章はクワガタを扱っていないが、昆虫コレクターという視点で見ればとても共通点が多い。

 

第2章・第3章が楽しく読める一方で、第1章と第4章はどこか哀愁を帯びているように思う。第1章ではクワガタ採集の規制が進むことを「夢の終わり」と表現していて、目標を失った男たちの気持ちを慮ると言葉が出てこない。第4章ではがむしゃらに夢を追い続けたことへの後悔の念がクローズアップされているし*2、「自分の夢を叶える」という現代的な価値観の功罪も炙り出しているように思われる。自分の好きなことをしてお金を儲けられる人が世の中にどれだけいるものか。それでも夢を追い続ける人たちの本音とはどのようなものか? 著者の意図とは外れているかもしれないが、本書にはそういう読み方も可能だ。

 

昨年の夏のことだ。暗い夜道を歩いていると樹液の出ている木の前を通りかかった。いつもコクワガタしかいない木なのだが、このときはヒラタクワガタのオスが2匹貼りついていてぎょっとした。子供の頃、多くの少年の例に漏れず私もクワガタに憧れていた。幸いにも自然豊かな環境に生まれ育った私にとって、カブトムシやクワガタはそこまで珍しい生き物ではなかった。採集になど行かなくても、自宅の光に引き寄せられてあちらから勝手にやってきてくれるほどだったのだ。しかしそれはごく一部の種類に過ぎなかった。私が見つけ、育成していたのはいつだってカブトムシとコクワガタだけだったのだ。樹液の出ている木の見つけ方など知らないし、木に蜜を塗っても寄ってくるのは蟻だけだった。
しかし幾つになっても少年の心を捨てられない友人に誘われるうち、ここ数年私もクワガタ観察の魅力に捕らわれるようになった。私は捕まえないし、育てない。しかし子供の頃図鑑の中で見て夢中になったクワガタたちを、実際に目にすることには無上の喜びを感じた。この前年には夢にまで見たノコギリクワガタを何匹も発見。そのいかついフォルムに見とれた。子供の頃に捕まえていたら片時も眼を離せないほどに夢中になっていただろう。
しかし昆虫採集は気味悪がられるのも事実である。夜木々を回っているとちらほら同好の士を見かけることがあったが、彼らが帰った後に木の洞(うろ)が破壊されていたこともある。どう考えてもマナー違反である。いくら静かにしていても夜中に人が歩いていることを近隣住民は良しとしない。なんら迷惑をかけた覚えはなくても、翌日には近くの木々がことごとく伐採されていた経験もある(偶然かもしれないが)。成人男性は出歩いているだけで不審者扱い。これが男性の生きづらさである。

それだけ負のレッテルを貼られる趣味でも、彼らは夢中になってやっている。そこに嫉妬の気持ちが生まれないでもない。実際、クワガタムシはカッコいい。タマムシやニジゴミムシダマシが美しいようにニジイロクワガタも美しい。人生で初めてカブトムシ・クワガタショップに立ち寄った昨年は、マルスゾウカブトの存在感に圧倒された(もはや「甲虫」ではなく「怪獣」である。夜中に飼育ケースが外れて部屋に出てきて、朝目覚めて床を這っていたら悲鳴を上げそうなレベルである)。それだけ多くの魅力をもつ生き物なのだから仕方がないのかもしれない。そう思わせてくれる本である。
子供にはカッコいいカブトムシやクワガタがたくさん載っている図鑑を勧めたい。しかし大人や背伸びをした少年たちが求めるのはこういう熱き甲虫ノンフィクションに違いない。大人になってもそのカッコよさに痺れているあなたにこそ、本書を手に取ってもらいたい。

 

ところで子供向けにならこちら。

山口進著『カブトムシ 山に帰る』
昆虫写真家が書いたリアル課題図書。カブトムシとそれらの環境の変化を自説を交えて紹介していく。「人間が自然に手を加えなくなったからカブトムシが小型化している」という逆説的な指摘には大人でも唸らされるはず。

*1:厳密にはそれらの歴史が彼らの人生と不可分なもののために、結果的に浮き彫りになっているだけとも言える。日本のクワガタ史のエポックメイキングな出来事を前に、クワバカたちはどう思い、どう行動したかが本書の肝である。

*2:後悔していないことも、であるが。