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気まぐれ系読書ブログ

読書記録『ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』

 

幻冬舎plus連載記事「月が綺麗ですね 綾の倫敦日記」の書籍版。日本人名のペンネームを持つ著者が、日本の会社に勤めていた6年間、MBA在学中の経験、移り住んだロンドンの街での生活を比較しつつ感じたことを記したエッセイ集。

帯文や各種オンライン書店の当該ページを見ているとフェミニズムを専門に扱った書籍に思えてくるが、フェミニズムをメイン(人によるだろうが)にしたエッセイはおよそ3分の1ほど。それ以外はロンドンでの生活で知ったこと・出会ったことがほとんどである。2人1組で行動する「パートナー文化」、イギリスの人々が愛する「ビスケット」、日本では行われていないコロナ禍の「ロックダウンの街並み」。中心に据えられたテーマは多岐にわたっており、本書の趣旨は性別に限らない「多様性」と言っていい。
もちろんフェミニズムも中心的なテーマだが、どちらかと言えばロンドンと東京を中心にした比較文化的視点の文章が目立つ。著者は同世代の女性に読んでもらいたいと書いているが、その国際色豊かな人生経験はもっと多くの人を引き込む可能性を秘めていると思われる。
昨今はユーモラスな筆致で読みやすいエッセイの書き手が多いが、著者もそのひとりだろう。ただ柔らかい文章のなかに「生き馬の目を抜く」世界を生き抜いてきた強さと価値観があり、その独自性は際立って見える。また文学を好む著者ゆえか、ロンドンで出会った人々の使う独特の言い回し・スラング等を多数記していることも見逃せない。

作中で特に関心をもったエッセイを幾つか挙げておこう。

 

・「女らしさ」の問題はどこに行ってもぶつかる
デート中に彼氏から言われた「フェミニズムってよくわからない」という言葉が、著者の心中に「これまでに経験したハラスメント」や「きちんとフェミニズムについて話をすることができなかった後悔」を呼び寄せる話。男性しか登壇していないパネルディスカッションには参加しないという会社のルールを作った部分も興味深かったが、この話で彼氏が「母親は性差別にあっていない」と答える部分があまりに深く心に突き刺さった。著者の「あなたに言ってないないだけなんじゃないの……」の言葉には頷くばかりである。
少し個人的な話をするが、最近某SNSで昔の知人からセクハラメッセージを送られて困っている女性の話を聞いた。あまりにひどい文面だったので私はアカウント乗っ取りを疑ったが、彼女の話を聞く限りそれはなさそうだ。「さすがにこんなこと言うような男性は……」と呟きながら私の脳裏にはぞっとするような言葉が浮かび上がっていた。「女性にこんなことを言う男性の話をいくつも知ってるんじゃないのか?」と。社会人になってから、仲良くなった女性にひどいセクハラ被害に遭った経験を打ち明けられたことが何度あっただろう。怖くて人に話せる内容ではないし、打ち明けるのにどれだけ勇気がいったことか。まして「フェミニズムってよくわからない」的な考えの人にそれを話すわけがない。なぜ話さないことはないことになってしまうのか。著者の怒りに察するものが多過ぎた。一応男性のひとりとして言わせてもらえば男性にだって生きづらい部分はある。私も仕事でセクハラに遭ったことがあるし、ストーカーやDVに関する書籍を読めば女性の加害者に苦しめられる男性被害者の例を見つけることは容易だ。だが性犯罪被害の申告率が低いのは男性も同じ。絶対数が少ないからもはや「ない」ことになってしまっている。こういう話をするとどうしても議論の相対化に作用して「男性も苦しんでいるんだ。女性も我慢しろ」の論調に使われてしまう気がして口に出せないでいる。しかし男性ゆえに苦しんだ経験のある人は、女性を攻撃するのではなくその苦しみを理解できるはずなのではないだろうか。

 

・イギリスが惹かれる「金継ぎ」という日本の美の哲学
日本の伝統的な陶磁器の修理法「金継ぎ」がヨーロッパで人気を博したという話。日本文化を独特の感性とアレンジで受容する他文化に対する著者の考えが興味深い。
著者ではないが私も「日本文化の見られ方」には心が惹かれる。これまた個人的な話で恐縮だが、私はアメリカのドラマが好きでよく見ている。なかでも日本人のキャラクターが登場するエピソードには注目しており、かれらが一様に挨拶として手を合わせることに興味をもっている。日本人が手を合わせるのは宗教的な場面か死者と食事へ向けてだけだ。最近だとカブス鈴木誠也がホームランを打ってホームに帰ってきたときに、スタッフか誰かに手を合わせて挨拶されていたのを見た。神様でもないし、私がされたら恐縮してしまいそうだ。一切裏付けはとっていない感想だが、日本人は思った以上に礼儀正しい民族だと思われているのだろうか。やってる側に悪気はないだろうし、困る話でもない。誰も指摘しないことなのだろう。

 

そして誰もいなくなった
日本では今のところ行われていない「ロックダウン」下のロンドンの風景。続く「ロンドンを止めたコロナ禍」も含め、海外都市在住者から見たコロナ事情はそれだけで貴重な情報である。もし日本でもロックダウンが起こったら……? その想像を掻き立てる。

 

・「典型的なロンドン人」なんていないーー東ロンドンという街
「『典型的なロンドン人』のイメージが湧かない」は著者の友人の言葉。多文化社会・(東)ロンドンの街の雰囲気とその歴史に触れている。これ一編で単著1冊書けるような広がりのあるテーマ。もちろん他のテーマもそうなのだが、著者の描くロンドンの街が1番印象に残るのがこのエッセイだった。

 

どうしても個人のエピソードに広げてしまうが、それだけ開かれたエッセイ集と言うことができるだろう。フェミニズムでもロンドン文化でもビスケットでもいい。そのどれかが読者の琴線に触れて印象に残る作品となっているはずだ。著者と同世代の女性にとっては特にそうかもしれない。いいブログの条件に「その人だけの経験が詰め込まれている」が言われることがあるが、そんなに単純に決めていいのなら本書は(ブログではないが)いい本に決まっている(笑)以上。