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気まぐれ系読書ブログ

読書記録『死の海 「中河原海岸水難事故」の真相と漂泊の亡霊たち』

 

1955年7月28日。三重県津市の穏やかな海・中河原海岸において水泳に来ていた36名もの中学生たちがまたたく間に命を奪われる痛ましい水難事故があった。当時センセーショナルに報道され、事故生存者が語ったという「ある証言」が心霊現象を想起させたこともあり、65年の歳月が過ぎた現代も日本最恐クラスの怪談としてよく知られている。しかしこれは心霊現象としての消費であり、事故の真相を追求して後世に伝えていく試みよりも遥かに影響力をもってしまっている現実がある。
実はこの事故にまつわる(公的機関所蔵の)資料は散逸してしまっている。しかし厳密には立証しようがないものの、今日ではその痛ましい事故には科学的に説明がつけられることがわかっている。だが一度水難事故が心霊現象にまつわるものだと噂になればもう止めることはできない。本書はなぜこの水難事故が起こったのか? そしてなぜ心霊現象説が生み出され、受容されるに至ったのか? 丹念な調査を積み重ね、その事故と噂の流布の背景にある事情を解き明かし真相に迫っていくものである。

 

ここで知らない人のために中河原海岸水難事故にまつわる怪談を紹介しよう。なおこれは私が知っているパターンであり、大筋こそ同じだが、インターネット全盛の現代ではさまざまなバリエーションが生み出されている。*1

1955年7月28日、三重県津市の中河原海岸では近隣中学校の生徒たちによる水泳の授業が行われていた。中河原海岸は遠浅の海であり、水泳の苦手な生徒たちでも安心して練習をすることができた。しかし生徒たちが入水してわずか数分、突然女子生徒たち(男女で泳ぐエリアが分けられていた)が溺れ始めた。わけもわからず慌てて救助に向かう教員たち。自力で逃げ出した者、なんとか助け出した者たちも多いが、最終的に36名という多くの少女たちが命を失った。なんとか生存したひとりの少女はこう語ったという。「防空頭巾をかぶった女性たちが少女たちを次々と海の底へと引きずりこんでいた」と。この証言をした生徒は他にもおり、水難事故は戦時中の亡霊たちが引き起こしたのだと語られるようになる。なお10年前の同日(1945年7月28日)、津市はアメリカによる最後の大きな空襲を受けていた。空襲の被害者の遺体は数多く、中河原海岸に埋められたという。(※引用ではなく都祁の記憶を書き記したもの)

中河原海岸。日本の怪談好き、オカルト好きの間でここまで有名な場所も少ない。中河原海岸は遠浅で、毎年県内外から多くの水泳客を集め賑わっていたという。近隣海岸も含め、この穏やかな海でこれほどの痛ましい事故が起こるなど誰が想像し得ただろうか。被害者はこの日水泳の授業で訪れていた近隣中学校の女子生徒たちである。水深はせいぜい1メートル。いくら水泳が苦手な子だったとしてもそんなに溺れてしまうものだろうか。
本書は事故からおよそ65年の時を経て刊行された中河原海岸水難事故を扱った初めての単著である。事故の経緯、原因をさまざまな観点から探っており、当時支配的だった「教職員の指導懈怠が原因」という風潮の背景、そして事件関係者たちがそれをどう感じていたかが明かされる。「事故の原因とその影響」を「教員」と「娘を失った遺族」というごく限られた関係者に限局して捉えるのではなく、まちという大きな枠組みから俯瞰して見ていくところに本書の醍醐味がある。
一見起こりそうにない事故はものの数分で多くの命を奪い去った。突然娘の命を奪われた遺族、そして義憤に駆られた者たちの怒りの矛先はどこへ向かうのか。当時スケープゴートとして槍玉にあげられた教職員たちを生徒たちは、そしてその他の関係者たちはどう見ていたのか。かつての裁判資料や新聞記事を何度読み返しても出てこない知られざるまちの人々の本音がここで語られている。
著者の事故を見つめる眼差しも冷静至極だ。メディアに記された自称専門家の嘘、そして心霊現象説を語る人々の論拠(?)とされる空襲被害者埋葬の日時と場所、そして被害人数の符合も緻密な調査を元に切り捨てている。
そしてなぜ怪談にかたちを変えて今もこれらの事故が語り続けられるのか? 多くの命が失われる悲劇が起こるたび、人々の心に巻き起こる感情を整理する装置として怪談は広がっていく。怪談が生まれた津のまちについて、著者は自身の体験を交えて語り、本書を締めくくっている。

 

大きな災害はメディアの毎年の企画によって追憶の機会を与えられるものである。「○○大震災から□□年……」といった具合だろうか。しかしこれだけ悲しい事故があったにも関わらず、中河原海岸水難事故が掘り起こされるのはいつだって怪談イベントや動画のなかでだけだ。実際私は怪談が好きで、この事故も趣味の延長で知ることになった。まだ「奇跡体験! アンビリバボー」がガチガチの心霊番組だったころ、本事故も特集されている。もちろん水難事故の悲惨さを後世に伝えるという趣旨ではない。その再現映像があまりに怖かったため、ますますこの怪談が世間に広がっていったように思う。
私は怪談好きではあるが、この中河原海岸水難事故について口にすることにはどうしても抵抗があった。事故の背景でどれだけの人が悲しみ苦しんだか、それを思うと心の底から楽しめないのだ。何でもかんでも不謹慎の一言で排斥するつもりはないが、本書を読むことはこの筆舌に尽くしがたい感情の淵源を垣間見る体験だったように思う。
本書の存在を知ってすぐ読みたいと思ったのだが、なんと版元はすでに倒産。入手までに結構な時間がかかってしまった。しかし読み終えた今、この選択に間違いはなかったと思わせてくれた。
多くの人の命が失われた悲劇。まちの分断すらも生み出した出来事を何の記録も残さずに風化させるのは惜しいものだ。図書館の郷土資料コーナーに置かれることで本書はずっとその記憶を引き継いでいくことだろう。本書の価値はそれだけで充分過ぎるほどだ。

※版元は既になくなってしまった。今後入手困難になる可能性があるため、図書館でなく手元に置いておきたいという人はお早めに。

*1:これらの水難事故は雑誌や新聞で取り扱われるたび伝言ゲームのように詳細を変えながら広がっていった。著者はこれらの怪談の大筋が固まったのが1986年刊行の松谷みよ子『現代民話考5』に収録された怪談(正しくは体験聞き取り)と見ている。ネットで検索すればひとつひとつの怪談にわずかな違いが見受けられるが、大筋で言えばどれも松谷氏の記したものと同じである。